昭和42年11月28日 夜の御理解


 人間の様々な営みの中に信心を頂いていこう、それがお道の信心である。その道を極めようとすればいよいよ山にでも入るとか、いわば、この世をすてるといった、人間社会と縁を切ったような、修行でもしなければ信心の奥義、とか奥峨に触れられないという信心ではない。いやそれではお道の信心はお道の信心ぶりにならない。
 どこまでも、もう、様々な営みに信心が練って練って練り上げらいくと言うところにお道の信心がある。そこにありがたいという答えを出していく。ありがたいという体験。相済まないというお詫びの謙虚な姿の中からおかげに繋がる。というような、あり方こそがお道の信心なのである。ただ今御祈念にかかるまえに、合楽の幸若さんが、その方は私いつも思うのですけれども、本当にそ見事に御神夢を頂いてそのままずばりの御理解を頂いておられますよね。
 今日もお届をされます中に、お夢の中に、大きな(?)という、ね、扇形に作ったかまぼこ、そすと、イカのかまぼこ。お知らせを頂いておられる。皆さんもご承知のように、かまぼこというのは生くさけと植物性のものとを、こう練って練って練り上げて練り合わせたもの。今日私が言う、(?)ね。人間の営みの中に、いわゆるそれを、一つの生くさけとでも申しましょうか、これは仏教あたりでは生くさけを絶ったりして、その仏道一筋に求めていくというのが、仏教のいまえらいお坊さん方が皆その修行をなさったわけなんです。ところがお道の信心ではそれでは修行にならん。
 ね。様々なわずらわしい問題も、人間としての様々な本能的なわずらわしいその事も、その事の中に信心を頂いていこう。そこにその、練らなければわからない。

 ね。様々な問題と取り組んで、それを、信心で頂いていくというのがそれなんだ。(?)といえば末広の事。本当におかげを頂きたい、ならばもう一つのイカの方は、これは改まりと頂かなきゃいけませんね。ね。その、改まりの中に日々様々な問題の中に改まったり、本気で磨かせていただく。
 ね、そういうおかげを頂かせてもらう。まあいうならば(?)何かにつまずいて転んだ時、こげなところにこげなものを置いておるけん転ぶという生き方、鴨居に頭を打った時にこげんところにこげんひくかけんで頭をうったと。自分がちょっとこう頭を下げてくぐっていけば、打たんものを自分でちょっと足元を用心すれば転んでいかないものを、それを、いかにも他のせいにするというような生き方ではなくてです、例えば転んだ時に頭を打った時にあいたという前に、済みませんという、そういうありかたなんだ。日常生活の中に。
 はあー痛いち、まるっきりそれを、たたくごたる気持ちがするような事では信心ならないという事。これは頭をうったら、こういう時じゃない。人生行路の上において打たれることがある、転ぶことがあるのです。そういう時にです、自分が足元を見ていなかったことを分からせてもらうというように、そういう頂きかたをすると練らなければおられない。
そこから私はおかげを受けられるのであると。今日は、旗崎教会のご大祭、それこそ、春の雨のような、篠のつくような、丁度お湿りのさなかに御大祭が奉仕されてある。丁度おった時でございましたが、本当にあの何て言うかね、神様のご期待のある教会とでも申しましょうか、真剣に神様が修行を求めておられるというのは、信者さんのあの教えの中に、もうそれこそ、ぬれたり汚れたりしながら、参っておられます。女の先生が一人で奉仕しておられますけれども、本当にあの尊い事だと思うんですね。
 それを、大祭を今日拝ませて頂いて、はあ、成る程これは普通の修行ではないなあと私は思うた。ここで御理解を頂いておるなかに、人が人偏なら私は行人偏という言葉を頂く。人が人偏なら、私は行人偏。一つそれにこう、(?)いわゆる当たり前なら当たり前のおかげだと、ね。ですから、ちょっとは違わなければいけない。
 そこんところが、今一押しというところなんだ。もうこれだけのことで十分じゃなくて、そこん所を一押しさせて頂く、はあ、毎日お参りしようと思いよるけれども、まあ、今日ちょっと眠かったきつかったからご無礼しようと。神様はきつかつも成る程疲れておることもご承知なのだ。けれども、そこんところはね、もう参ってこんでもいいがと。この雨が降りに、ね、はあ、参ってこんでんまた、明日お礼に出てくりゃよかったのに、と例えば先生から言われてもです、やはりお参りしなければおられないというかね、まあいうならば、「雨の降るのにおじゃるなというのに、濡れておじゃればなおかわいい」である。そこんところを押してくるところに、神様の特別のかわいいという手が差し伸べられる。

 そこんところ、当たり前と言えば当たり前、そこんところを一押しするところに神様の特別な愛の手に触れることが出来る。今日も、一丁田の先生の御開帳であった。もう72歳になられるおばあさんです。非常にまあ、今の言葉でもうしますと、なんと申しますかね、様々なところを通っておられるのですね。21ぐらいでまあいうなら、貧しい教会に嫁入られ大変な難儀をされる。ご自分、そしてそこから最後にはまあ、他の方と結婚されてそして、久留米で一流の芸者屋をなさった。それはもう、いわゆる芸者屋のお上さんが、親の信心の徳でとこういうておられますが、小倉の初代の桂先生のところでの総代をお父さんがなさっておられた。その先生が柳川の教会に縁付かれた時の話であった。丁度御本部の御造営がございました。それで、小倉の桂先生、石橋先生、甘木の安武先生と言ったような、もうその、それぞれのお徳を持っておられる先生方が皆木曾山中に入られた。それにお供して、柳川の先生も一緒においでられた。
 60何日間山に入っておられたそうですね。その檜の木を伐採する為に。そん時にその帰って見えられてから、今日は大変なおみやげを頂いてきたというて、あの、奥さんに話されたというのはどういう事かというと、桂先生が仰った。ね。ない袖は振られんというけれども、ない袖の下を振らせて頂いたら、子供が結構である」という御理解を帰りがけに頂いた。
 はあーそれがお土産ですかというてからその奥さんがいわれたちいうわけですね。こげな素晴らしいお土産はなかじゃないかち。子供は結構でしょうけれども私たちはどげんなるですかちいうてその、まあ、くってかかったような時代があったという事である。

 ところがさあ何10年立たせてもろうて、今日を思うてみるとです、その子供達が本当に結構なおかげを頂いておるという事。一人なんかは大学を出られて、(?)受けられましてですね、みんな、丁度学生ばかりの兵隊が二千人、たったその中から一人ですね、その、返された。その船は、それこそ1999人が全滅だったと。地雷に当たってから。本当に、子供は結構であると仰ったが、ね、俺達は今こういう修行をさせてもらいよるけれども、子供達が結構なおかげを頂く?これなんかは、人が人偏なら私は行人偏といったような、修行をなさっておられる。
 ね。一人のお子さんなんかはもう、まあ、それこそ、その土地の財閥といわれるくらいに、大変なおかげを頂いておられます。子供は結構であると。そういう例えば、お徳を頂かせてもらう為には今日私が申しますように、いよいよ末広のおかげを頂かせてもらう為に、ね、人が人偏なら私は行人偏と少しは変った信心をさせてもらう。その内容としてです、例えば転んでも頭を鴨居に打ってもああ痛よという前に、済みませんというような心もちでね信心。そこから改まりもすれば、そこから、開いてもいく。本当にここん所も気付かせていただいたのだと、分からせていただく。ね。そこから頭を打って改まることが出来る。けっつまずいてそこから、磨いて行くことが出来る。そういうあり方。そういうあり方が私共の日常生活の中にかまぼこじゃないけれども、練って練って練り上げられるところに、(?)おかげが約束されると私は思うのですよね。
 
 どうぞ人が人偏なら私は行人偏、そういう信心をさせてもらわなければなりませんですね。どうぞ。